守屋 浩(もりや・ひろし)
1957年、高校卒業と同時にスイングウェストのバンドボーイとなる。翌58年、日劇ウエスタンカーニバルでデビュー。
堀威夫氏のアイデアで、すでに活躍していた水原弘・井上ひろしに合わせ「浩」と改名、「三人ひろし」が誕生した。熱狂的なロカビリーブームにのり、一躍人気者となる。
その後「僕は泣いちっち」が大ヒット。以降、「有り難や節」など、ナンセンス歌謡で次々にヒット曲を発表。68年以降、一線から身を引き後進の指導にあたる。ホリプロのスカウト部長として榊原郁恵などをデビューさせている。 |