ウエスタンカーニバルは、東京有楽町の日劇(現、有楽町マリオン)において、1958年から1971年までの間、計57回開催されたました。その規模は、今で例えるなら東京ドームでの開催に匹敵し、全国の若者の熱狂振りはすさまじいもので、当時の社会現象ともいえる伝説のコンサートです。
激動の20世紀。

1958年、と言ってもわかりにくければ昭和33年、この年、日本の文化に巨大な足跡を残した新しい波が誕生しました。それは日劇ウエスタンカーニバルでした。

有楽町のど真ん中で若いエネルギーが大爆発。新時代のヒーローに躍り出たのは平尾 昌晃、山下 敬二郎、ミッキー・カーチスのロカビリー3人男。

戦争が終わって13年、「もはや戦後ではない」と叫ばれてから2年後、娯楽に飢えていた当時の若者達が飛びついたのがロカビリーでした。
アメリカで生まれたロックンロールがラジオを通して日本に上陸。ウエスタンカーニバルを機に、熱狂的な、それでいてどこか日本的なロカビリーブームがやってきました。

業界でよく言われるニッパチ。つまり、2月と8月はお客さんが来ない。そこで苦しまぎれに天下の日劇がゴーサインを出したのがこの企画。銀座「テネシー」、新宿「ACB」、池袋「ドラム」などなど、ジャズ喫茶の人気者を大劇場に一同に会して興行を打とう!
仕掛け人は後にマダム・ロカビリーと呼ばれる渡辺 美佐。

これが大当たりのバカあたり。ロカビリーは社会現象となり大ブレーク。
第二回には(水原 ひろし、井上 ひろし、守屋 浩)三人ひろし、第三回には坂本 九が登場。男性中心のライナップでしたが、第四回目からは女性陣の活躍も目立ち始めました。

日本を代表する一大イベントは1971年、昭和で言えば46年、第57回をもって、その幕を閉じました。ウエスタンカーニバルの役目が終わったのです。

しかし、そこで歌われた数々の名曲は決して色あせることはありません。日本人の心の中に深くしみ込み、多くの人たちによって21世紀に歌い継がれていくことでしょう。

(本文・島 敏光)


日劇(日本劇場)全景。
ここに並んだ経験をお持ちの方も
たくさんいらっしゃることでしょう。

豪華なステージ風景です。夢とパワーが溢れています。
マダム・ロカビリーと呼ばれたウエスタンカーニバルの仕掛け人、渡辺美佐さんです。